わたしは詩いたいのです
ばら色の頬を喪って
かわりに得たものを
あんなにも私を嘲けろうとした
時が
今はいつも私の隣りを歩いていることを
(「春のうた」より)
久宗睦子さんは、もしかすると、小説を書いたほうがよいのかもしれない――と、ふと私は思ったことがある。久宗さんの詩の多くは構造力に独自の秀れたものがあり、彼女の数奇な人生経験に裏付けされた物語性が、その作品に内流している。
(伊藤桂一・解説より)
久宗睦子さんの詩の特徴は、そのモチーフが〈外部の内在化〉、〈内部の外在化〉であるかを問わず、こうした質的時間の確保を核に構築されていることである。そこでの久宗さんは現世という舞台の上に立ち、凡庸な日常(物理的時間)を一瞬にして質的時間に変えてみせるマジシャンであると言ってよい。
(中村不二夫・解説より)
久宗睦子は生活の負の部分を全く詩わない詩人だった。早い時期に両親を亡くされ、それに続く数多の方便の苦労など、詩のどこにもあらわされていない。どんなときにも夢見る文学少女であった久宗睦子はその夢に向かって邁進していたのだ。
(野仲美弥子・解説より)
さまざまなアクシデントに、詩人は犀利な知性で抗いながら、直向に詩に向き合ってきた事が分かる。しかしこの詩人の独自性は、今も尚なまなましく息づいているらしいそれらの深手が、作中にむしろ甘くも、痛ましくも在って、詩人特有の抒情として華開いていることに在るのではないか。
(春木節子・解説より)
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