ぼくらの教室には、入学以来ひとことも口をきかぬ男の子がいた。ぼくらは彼を嘲笑し、さかんにはやしたてた。でも、彼は表情ひとつ変えず、ぼくらの石つぶてのような言葉をのみこんでしまった。彼の沈黙はまるで底なしの穴だ。彼の名前は〈心〉だった。
「心」より
ここまで原初の衝動に忠実な作品もめずらしい。そういえば、原初の衝動を記憶しているものこそが芸術家だ、とどこかで読んだかもしれない。思わず目を背けてしまいそうになるがでも背けない、なぜならそこに自分自身をも見つけることができるからだ。ちなみにフロイトは、父親を亡き者にしたいという願望(原初の衝動)が無意識に棄てられることにより幼児の心は発達すると考えた。つまりこの切なる願望は消えてしまったわけではなく、心のどこかに眠っている、あまりの生々しさに普段は抑圧されているだけなのだ。詩人・一色はそれをどうしても取り出し、形あるものとして突きつけたい。自分自身にも、或いは愛する誰かのためにも。そのためには書くしかないのだ、自分の手を汚してでも。
(伊藤浩子・解説より)
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