遠のいた風景だけが美しいのは何故だろう
星空に散る花火も
山の湖の青さも いつも懐かしい
「無明」より
一見なくてもいい無駄な部分に見える。しかし、これらのことばが何とも微笑ましく楽しく、語り手の阿部の人柄までじんわり伝えてくる。それに「歩く」とは元来そういうことではないか? 車のように効率よく目的地から目的地へと回るものではない。行きつ戻りつ、立ち止まったり道草したり…「無駄」が楽しいのだ。阿部のことばは説明ではなくそれを語っている。
(里中智沙・解説より)
彼岸から一瞬現世に派遣された舟人であろう。現世は百鬼夜行が周囲を徘徊し、波高く、風強く、だれ一人枕を高くして眠ることはできない。だからこそ、阿部は悔いのないように中世の歌人のように必死に歌うのである。そして、だれもが現世での任務を終えて、その死後、それぞれ自らの希望する歌枕の場へと必然的に帰っていくのである。
(中村不二夫・解説より)
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