運転室の
すぐ後ろの座席で
ぼくはノートに詩を書く。
時速一二〇粁で走る電車の中で
ぼくの詩は蛾のように止っているが
車体が揺れるたびにぼくの詩も揺れうごく。
(「運転室後部席にて」より)
一つは極力短歌的抒情を排して事実に拠ること。もう一つは常に人間優先の視点を持つことなどである。この人間優先の視点は、早くも処女詩集『ぼくらの地方』の序文で小野十三郎が「黛元男の詩精神は、一種のうずきに似た痛覚をもって」「公害(注 四日市公害)のさらにその背後にあるもの、眼かくしされているものを透視」しているとして着目している。この四十年も前に著者が抱いていた「痛覚」がその後の彼の詩の底流となってそれぞれの作品に結晶していったといえる。
(田畑實・解説より)
黛元男の全詩集を読みおえて思うことは、表面柔和な人柄からは想像も出来ない、男性的で硬質なモザイクの結晶である。リアリズムの追求が真実の追求と相まって詩の遊びを封じこみ、余分な無駄な言葉は見出されない。黛はまさに男そのものなのだ。酒が好きで女を抱かずにはいられない。三重詩人では珍しく原始的な酔と愛のロマンチスト詩人である。バッカス的な充満した情感がポエジーとなって発散する羨しい素質がある。
(加藤千香子・解説より)
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